2013年7月1日月曜日

 サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(11)

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(10)



18   ブラジルと日本の魅力の違い


Footbank:
 そうですか。またその時は日本のクラブとかに興味はなかったですか?


岩崎選手:
特になかったですね、ただその日系人が、ファジアーノ岡山(現J2)とニューウェーブ北九州(現J2,キラヴァンツ北九州)に行って。って言われて1週間くらい参加したんですけど、ブラジルの「アメリカミネイロ」が凄かった感覚が覚えていたから魅力があまり感じる事が出来なかったんです。

Footbank:
 なるほど。

岩崎選手:
それでそこからまたバイト生活に戻りましたね。

Footbank:
 やはり平坦では決してないですね、バイトして高校で自主練して日本とブラジルを行ったり来たりで。普通の歩み方では決してないですよね。そして自分で道を決めてからの行動力は凄いですよね?

岩崎選手:
フットワークは自分でも軽いのかなって思います。

Footbank:
 かなり軽いですよね。仙人の家や、選手権出場できるという思いだったり、今回のブラジル行きもですし。

岩崎選手:
なんかこう、1回そう思うと、「いけんじゃないの、いくしかないでしょっ」
て半分ノリもあるんですけどね。でもまあそれが結果的についてきていますからね。

Footbank:
 その感覚が素晴らしいですよね。それでバイト生活の時は何歳くらいでしたか?



⑲遂に!ブラジルでプロ選手キャリアスタート


岩崎選手:
21歳になっていました。それで当てもなく連絡を待っていましたね。そしたら電話が掛かってきて、
「お前プロ契約のビザおりたぞ」って言われて、今までの練習試合などのビデオを編集してくれて、
"サンタカタレナ州2部"の"カンボリュー"っていうチームにいってそこから初めてプロ選手としてスタートしました。

Footbank:
 なるほど、ではそこがキャリアスタートだった訳ですね。

岩崎選手:
そうなんですよ。

Footbank:
 契約時は21歳ですか?

岩崎選手:
そうですね。

Footbank: 
 となるとデビュー戦はどのくらいで?

岩崎選手:
最初は登録がスムーズにいかなくて、リーグ戦残り2試合くらいで登録がOKになったけど、もう消化試合みたいになっていたんです。その時2部だったんですが、凄く弱かったので、出れるというか出ないとダメだなっていうレベルだったんですよ。レベルで言うと、ブラジルで5部6部だったんですよ。

Footbank:
 難しいと思いますが日本と比較したら因みにどのレベルになるんでしょうか?


岩崎選手:
日本よりかは多少高いですけど、地域リーグ2部ぐらいでしょうか。カテゴリーで言いますとそのくらいですね。

Footbank: 
 そうですか。


岩崎選手:
それで残り2試合でユース選手を沢山出すって感じで結局試合出れなかったんですよ。登録して練習だけしていた感じでした。それでまた問題が色々とおきて、ある日、頭痛くて寮で休んでいたら、いきなり寮に警察がバッて3人くらい入って来たんですよ。それで、寮のおばちゃん逮捕されちゃったんですよ。



 2人・・・大爆笑



岩崎選手:
それで練習戻ってきた皆に知らせたら、「え・また?」っていう雰囲気になって、「何で捕まったの?」
って聞いたら、「他人名義のカードでいっぱい買っちゃうんだよね。あの人」って癖づいていたみたいで。

岩崎選手:
その時にチームも丁度崩壊しかけていたから、コックさんとかも雇わなくって、ジャガイモと鶏肉が
あったから毎日それと、ご飯とフェジョンを食べていましたね。それであっという間に終わりました。最悪でしたよ。

Footbank:
 それは悲惨ですね・・・それで次は??



岩崎選手:
代理人が次のクラブを用意してくれるまで、1ヵ月くらいブラジルを走っているだけなんですよ。
時期的には、9月~10月にリーグが終わったんで10月~11月の間に代理人の家で生活しながら1人で
公園を走って、筋トレするみたいな毎日をして、次のキャンプに参加したんですよ。


それがパラナの1部の「パラナヴァイ」というチームで。リーグではまぁ良い所でしたね。
そこで、キャンプで「全然契約するよー」ってなって。契約したんですよ。


でも最初6試合はメンバー外で全然試合に出られなくて、その間に監督交代してもずっとベンチ外で、
「自分ではいけそうなのにな。」って思っていても絶対出られないんですよ。


怪我したんですけど、チームメイトには好かれていて、ある時、システム"3-5-2"のワイドの左ポジションが居ないってなって。ユースを上げるか、俺を使うか。迷っていて、それで、チームメイトが「ユース使うなら日本人使えよ」って言ってくれて、初めて試合に出れたんですよ。この試合がデビュー戦でしたね。




引き続きお楽しみに。
次回の項目

21 21歳、ブラジルにてプロ初デビュー戦
22 ハーフタイムに麻酔なしで手術



























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