2013年6月9日日曜日

サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(7) 

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(6)



⑪ 高校時の一番の出来事 






岩崎選手: 
それから先生と色々話をしたりもして、例がなかったんでしょうね、ドイツ行きの話もですが。結局は俺も行きたいっていう意思を伝えなかったんですね。だから消えていった話だったんです。
その時に、国体の試合などを見ていた、中京大学のコーチや監督が「是非きてくれ」とサッカーの試験を受け、入学しましたね。

Footbank:
 新潟の話と中京のタイミングは同時期に?

岩崎選手:
ほぼ同タイミングですね。本当は佐川急便で就職して、午前中だけ働いて午後サッカーするという感じだったから。それを一番最初にしたかったんだけど、それは高校の監督から"大学卒業しないと無理"と言われて、それで「お前、どうするんだよ」っていわれ、「お前は工業の機械系向いていないから、大学はどうだ」
と薦められた。で、嫌々入学したという感じです。

Footbank:
 高校時で一番の出来事とは・・?

岩崎選手:
やっぱり、まぁ初めて自分の代で3年時に選手権に出場を決めた事とか。結果的に全国ベスト16でしたけど、でもそういうのが印象深いですね。全国高校サッカー選手権、県予選決勝も最後PKでしたけど、最後俺が蹴って、勝つ事ができたし。


Footbank:
 いわゆる、持っている(運)選手ですね?

岩崎選手:
 まぁそうですかね、その時は「俺らいけんじゃねえ」って、直感的に感じていて、それで皆で頑張って練習をしました。
選手権本選でもあと1回勝っていれば国見でしたけど三ツ沢競技場で盛岡商業に負けてしまいました。






⑫  ランニングとモチベーション




Footbank:
 大学入学という事でまず入学後はどんな心境でしたか?

岩崎選手: 
入っていきなりランニングばかりで、「1年は走りだよ」ってずっとランニングさせられていました。
一応トップチームには居たんですけど試合にも出ていなかったし、半年くらい腰を怪我していたので半年以上はやっていないん
じゃないかな。それで1年くらいはボケーッとサッカーをやっていましたね。怪我と走りという印象で、練習してても先輩が試合出ていたし、サブ組み扱いで、ポジションも左利きなのに右サイドで使われていて、つまらないイメージしかないです。


Footbank:
 大学だと人数も多いですもんね?

岩崎選手:
 120~130人で3軍まであったんで全然つまらなかったですね。

Footbank:
 モチベーションはどのくらい落ちたんですか?また、どうやって維持しました?

岩崎選手:
 何でこんなに面白くないのって感じで維持も出来てませんね。高校時が楽しかったので違いすぎてつまらなくて。



引き続きお楽しみに。
次回の項目
⑬ ウリナリの特ホウ王国の千人と

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