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岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
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生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(8)
14 いざ、ブラジルへ!!
Footbank:
それからその後は?
岩崎選手:
大学辞めてブラジル行きを考え始めて2年生時に動きだしました。
岩崎選手:
どうせこのままプロになれなかったらサッカーやるのも大学で最後だしと思って、社会人になったら働きながらサッカーしないとダメという感覚があって。そこで1年くらいブラジル行ってもいんじゃないって自分で思い、バイトしながらサッカーしていました。たまたま中京大学の近くはブラジル人が多くて。ブラジル行くと自分の中で決めた翌日から、ブラジル学校に1人でいって、「ポルトガル語教えて下さい」その代わり、体育の授業だったり、宿題を手伝ったりしてしばらく、ポルトガル語を勉強して、実際に2年の終わりの3月くらいにブラジル行ったんです。実際は現地で言葉があまり通じなかったんですけどね。笑
12月から3月まで実家に戻り、アルバイト、サッカー、ポルトガル語習得という生活でしたね。ブラジル留学をネットで調べていたら100万とか高かったので「ブラジルでサッカーをしたいです」って高校の監督に相談をしたら、「何、訳分からない事を言ってるんだ」ってなって、それでも紹介してくれる事になって。そこから行ったんです。
15 サンパウロの田舎クラブのテスト生
Footbank:
最低限の渡航費用だけ貯めて、行ったんですね?
岩崎選手:
まぁそうですね、最初は「クルゼイロスポルチクルービ」というチームでそこは月謝を払ってサッカーをするという所だったんです。
紹介してもらったコーチも最初は設備が整っているクラブでした方がいいとなったのでお金を払って、サッカーをしました。ここで2,3ヵ月くらい経った時に、噂で「試合に出れるよ。」ってなって、その時は20歳だったんですけど、そもそも18歳までしか試合に出れないという事になって、結局出れなくて、「何だそれ」って思って、笑。意味ねーじゃんって思って。
2人 ・・・笑
岩崎選手:
その時にたまたま日本でサッカースクールをしていたブラジル人監督がサンパウロの田舎クラブでサッカーするから「来る?」って言われて、テスト生という感じでそれに行ったんですよ。
そこでテスト合格したんですよ。
引き続きお楽しみに。
次回の項目
16 ついに! ブラジルで初契約
17 スキルなんかより、「気持ちが大事だ」
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