2013年6月24日月曜日
サッカープレーヤーが成功する為のたった3つの方法
3点、以下のキーワードとポイントが大切です。
①脳
錯覚させる
小さな頃から毎日、ひたすら選手を夢見る事です。
そして、自分の脳に錯覚させる事が大切です。
かなり、メンタル要素が強いのですが、"なりたいと"いう希望的な
願望ではなく、"なる"と心に決めることです。その軸が定まる事で
日々の生活や、格好、入ってくる情報、会話など、全てが決まってくるはずです。
②身体
食事摂取
食事は、とても大切です。
身体が資本な訳で、おろそかにすると、プレーやコンディションには
少なからず影響が出ます。
③プレー
技術基本技術
とにかく、 大人になるほど、、レベルが上がるほど、一番大切なことです。
特に気になる点は以下の4点。
”とめる” "ける” "みる” "手を使う”
です。最近Jのゲームや日本代表の試合を見てもこの差が顕著です。
=====
まだまだ沢山ありますが、上記3点を小学高学年あたりから心がけて実践するだけでも
ずいぶんと変わってきます。
次回は、以下項目について続けて書きたいと思います。
予定項目
・脳みそからプレーを描く
・プレースタイルや体質と筋肉のつけ方、つき方
・基本技術と試合で必要な基本技術
2013年6月21日金曜日
サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住) (10)
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岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
---|---|
生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(9)
16 ついに! ブラジルで初契約
Footbank:
そのクラブは、新しいサッカークラブになるんですか?
岩崎選手:
歴史のあるサンパウロ州リーグ2部の田舎クラブ"フランカーナ"というクラブでした。その時に20歳で契約をしました。
Footbank:
その時はプロ契約で?
岩崎選手:
いえ、プロではないけど、リーグ戦に出場もできるというような契約でした。
Footbank:
その時の生活費や食事については?
岩崎選手:
生活費は所持金でまかなっていました。ただ通常の留学と異なって、契約していたので、プロでないけど、居ていいよって事になっていました。ここでは3~4ヵ月居て試合に出ていましたね。
Footbank:
なるほど。ここでブラジルのサッカーや生活などより見えてきたんでしょうか?
岩崎選手:
ここではイメージ通りのブラジルで、ダニとかいそうな汚いクッションとかで寝て、自分もお金盗まれましたけど皆、盗みあってま
したね。苦笑
ここで、「うわースゲエブラジルじゃん」って。今居るよって思って。笑。
最初に居た「クルゼイロスポルチクルービ」で、トイレ汚いなって思ったりしていたんですけど、クラブチームを渡り歩く事にクルゼイロの良さっていうのが分かってきましたね。
Footbank:
なるほどですね。
岩崎選手:
フランカーナが弱かったので大会に負けたらリーグスケジュールがなくてチームが負けたから1回閉まって、もう1回来年に開くっていうようにはなっていたから。ただ、なくなってしまって。
その時に監督から「お前20歳でイイから、プロのキャンプに行けよ」って言われて「アメリカミネイロ」っていうチームのキャンプに参加させてもらって。
そこで、キャンプにずっと参加していて、持久力とかも凄い評価されて、「左利きだし、20歳だから 残っても良いんじゃないの」ってキャンプ中に雰囲気になっていたのが大体分かっていて。
Footbank:
はい、周りのそういった雰囲気ですね。
岩崎選手:
でも実際は試合に出れる実力まではなかったんですけど。プロのベンチには入れるんじゃないのって思っていたら、監督に気に入ってもらっていて、本当か分かりませんけど「お前プロでいけるよ」って言われていたんですね。
でも監督が急に来なくなって、次の監督が急に来てから練習も参加出来なくなって、
ずっとスパイクも履けなくてランニングだけ。
Footbank:
ずっとですか?
岩崎選手:
はい、それで「やばい」って思ったから紹介してもらった人に「どこかなんかないですか?」って言ったら、違う南の州に日系人が居る。って言ってそれをたどれ!って感じで言われて。
2人 ・・・笑
岩崎選手:
その人の電話番号だけもらって、説明をしたら、「1回こっち来る」ってなって、「行きます」って言って住所だけ伝えてもらい、自分でバスチケットを買って、17時間バスで移動したんです。
それがパラナ州という所でしたね。それでその人が、ブラジルでサッカーする気ないの?どうしたいの?ってプロサッカー選手になりたいです。って答えて、ブラジルは受け皿が大きいから、レベルの低い所からスタートしても良いんじゃないのって
言われて。
2013年6月19日水曜日
サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(9)
![]() |
岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
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生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(8)
14 いざ、ブラジルへ!!
Footbank:
それからその後は?
岩崎選手:
大学辞めてブラジル行きを考え始めて2年生時に動きだしました。
岩崎選手:
どうせこのままプロになれなかったらサッカーやるのも大学で最後だしと思って、社会人になったら働きながらサッカーしないとダメという感覚があって。そこで1年くらいブラジル行ってもいんじゃないって自分で思い、バイトしながらサッカーしていました。たまたま中京大学の近くはブラジル人が多くて。ブラジル行くと自分の中で決めた翌日から、ブラジル学校に1人でいって、「ポルトガル語教えて下さい」その代わり、体育の授業だったり、宿題を手伝ったりしてしばらく、ポルトガル語を勉強して、実際に2年の終わりの3月くらいにブラジル行ったんです。実際は現地で言葉があまり通じなかったんですけどね。笑
12月から3月まで実家に戻り、アルバイト、サッカー、ポルトガル語習得という生活でしたね。ブラジル留学をネットで調べていたら100万とか高かったので「ブラジルでサッカーをしたいです」って高校の監督に相談をしたら、「何、訳分からない事を言ってるんだ」ってなって、それでも紹介してくれる事になって。そこから行ったんです。
15 サンパウロの田舎クラブのテスト生
2013年6月12日水曜日
サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(8)
![]() |
岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
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生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(7)
⑬ ウリナリの特ホウ王国の千人と
岩崎選手:
練習後のとある日に、友達と飯を食いにいって、たまたま昔TVで見た、仙人が居たんですよ。(これは笠井健太君も知っているんですけど。)なんか特ホウ王国の番組に平成仙人というヌンチャク仙人がすげー賞金をとっていた人です。その仙人がファミレスでビールを飲んでいて、「これ、ウリナリの特ホウ王国のやつじゃん」って思って速効仙人の方にいって、「仙人ですよね?」なんか「そうじゃー」って。
2人 (笑)
岩崎選手:
それで「俺を最強にしてもらっていいですか?」って言って「森へ来い」ってなって、名刺代わりのA4プリント資料を渡されたのでネタの1つとして翌日に1人で半信半疑のまま行ったんですよ。
そうしたら道のない草むらを5分進んだ所でボロボロの看板に「仙人の家」があったんです。
岩崎選手:
「こんにちは」って言ったら、「お前来たか」ってなって。笑
「勇気あるなー」って言われて、色々仙人の話を聞いて「修行お前、したいのか、じゃあ頑張れよ」
って森をさらに奥に進んだらキレイな道場がでてきたんですよ。
木にぶら下がって、けんすいを80回くらい平気でするんですよ。「これはやべえ」
って思って。「俺を最強にしてください」って言いました。
それで毎日寝泊りはここでしろって事で大学通いながら3ヵ月居ました。
2人 大爆笑
2013年6月10日月曜日
市立船橋 VS 水戸葵陵 トレーニングマッチ
トレーニングマッチ観戦。
前半30分のスコアは 0-0
水戸葵陵 は、前線からのハイプレスの陣形で
高い位置からのプレッシングで、良い形でボールを
奪い、シュートまで持っていっていた。
一方、母校の市船はサッカースタイルは私がいたころと
変わっていて、ポゼッションをしながら、形を作ろうという攻撃に
見えた。
どちらにもいえる事だか、基本技術がまだ物足りないように思う。
そこから、雑なプレーやちょっとしたイージーミスが目立ってしまうと
全体の試合の質が低くなってしまう。
また、攻撃のセオリーがどのくらいチーム内に浸透しているのかで、
攻撃でのチームでの狙いなどが見えるものだか、まだそのようなところは
見えなかった。
でも将来が楽しみな選手も数名いたので、追っていきたいと思う。
2013年6月9日日曜日
サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(7)
![]() |
岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
---|---|
生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(6)
⑪ 高校時の一番の出来事
岩崎選手:
それから先生と色々話をしたりもして、例がなかったんでしょうね、ドイツ行きの話もですが。結局は俺も行きたいっていう意思を伝えなかったんですね。だから消えていった話だったんです。
その時に、国体の試合などを見ていた、中京大学のコーチや監督が「是非きてくれ」とサッカーの試験を受け、入学しましたね。
Footbank:
新潟の話と中京のタイミングは同時期に?
岩崎選手:
ほぼ同タイミングですね。本当は佐川急便で就職して、午前中だけ働いて午後サッカーするという感じだったから。それを一番最初にしたかったんだけど、それは高校の監督から"大学卒業しないと無理"と言われて、それで「お前、どうするんだよ」っていわれ、「お前は工業の機械系向いていないから、大学はどうだ」
と薦められた。で、嫌々入学したという感じです。
Footbank:
高校時で一番の出来事とは・・?
岩崎選手:
やっぱり、まぁ初めて自分の代で3年時に選手権に出場を決めた事とか。結果的に全国ベスト16でしたけど、でもそういうのが印象深いですね。全国高校サッカー選手権、県予選決勝も最後PKでしたけど、最後俺が蹴って、勝つ事ができたし。
Footbank:
いわゆる、持っている(運)選手ですね?
岩崎選手:
まぁそうですかね、その時は「俺らいけんじゃねえ」って、直感的に感じていて、それで皆で頑張って練習をしました。
選手権本選でもあと1回勝っていれば国見でしたけど三ツ沢競技場で盛岡商業に負けてしまいました。
2013年6月5日水曜日
サッカー選手 岩崎陽平選手 (ブラジル在住) (6)
![]() |
岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
---|---|
生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(5)
⑨ドイツ行きか新潟行きか
岩崎選手:
実は高2の終わりで選手権県予選の準決勝に出てて、四日市中央工業に負けたんですけど、その試合にとある代理人がドイツ人と試合観戦していて、その人がドイツ行きの切符を持った人で、「一緒にドイツに行かないか」って話が来たんですよ。結局行かなかったですけど、その時に俺、プロになりてえな。って思い始めた瞬間でした。
Footbank:
ではその高2の時に、スイッチが入ったというか、プロをはっきり目指そうと思ったんですね。そうですね、それまではサッカーが好きでちゃんとしていましたけど、そこからプロになりてえなって。高2できっかけやチャンスというのが出てきたんですね。
そうですね。
Footbank:
高3に進路の話があると思いますが、高3の夏に新潟の練習参加されたんですね。どのようにして新潟の練習参加に?
岩崎選手:
その例の代理人が連れていってくれたんです。選手権出場したら、新潟行きを約束できるかも。って話がずっとあって。でも今まで全国出場もなくて、そこまで伸ばして、ダメだったらまずいから、進学しておけ。っていう話でした。
⑩ プロの練習参加
岩崎選手:
実際ドイツの話も具体的な費用の話も出てきたら親も出せないし。って話もあり、色々あったので。
Footbank:
もし、岩崎さんの個人的な気持ちで考えるのなら新潟へいきたかった?
岩崎選手:
もちろんそれは行きたかったですけど、そのレベルにはまだ達していなかったですし。
Footbank:
練習参加期間はどのくらいでしたか?
岩崎選手:
3,4日くらいでしたよ。
Footbank:
その時の印象はどうでしたか?
岩崎選手:
遠征などでサブ組みしかいなかったんですよね。CUPSっていう学生の子もきていました。ただ、フィジカルをやたらやっていて、何でこんなに走って、何してんの?って。
レベルは高いですけど、慣れてフィジカル強くなれば、いけんじゃねーのっていう感覚でしたね。
Footbank:
技術面においては?
岩崎選手:
同じくそんなに高いというイメージではなかったですね。
引き続きお楽しみに。
次回の項目
⑪ 高校時の一番の出来事
⑫ ランニングとモチベーション
2013年6月3日月曜日
サッカー選手 岩崎陽平選手 (ブラジル在住) (5)
![]() |
岩崎 陽平
Yohei IWASAKI |
---|---|
生年月日 | 1987年3月24日 |
出身地 | 三重県 |
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす |
前回の内容 : パラグアイリーグ所属 岩崎陽平選手(4)
⑦ 四日市中央工業への進路選択
Footbank: とにかく凄い中学生というのは間違いないですね。それで高校にあがるタイミングでは 何かありましたか?
岩崎選手: まずは中学の先輩が行っているのと、一番近いからという事で。 親とかには"四日市中央工業"に行きてえなって言ったら、"あんたは無理" って言われて"津工業"に行きなって言われ、それで"近いしそっちいくか" って思って。それでおれ頭悪いから、推薦とれば行けるだろう思って。
Footbank: スポーツ推薦ですかね?
岩崎選手: それはないです。普通の内申オール3で入学できる内容でした。 まぁ近いし、オール3で行けるから行こうって。
Footbank: 皆、中学から知っている仲だから、サッカーはやりやすかったんですね。 それでその時のトレーニングとかはどうでしたか?
岩崎選手:
ここで初めて上の目指すサッカーでした。県2位にもなっていたので それもあり行ったんですけどね。 とにかくパスサッカーでゴールキックも蹴らないで。 今考えるとおかしい。と思ったんですけど、当時はそれに魅力を感じてたから 1年時にははすげーと思ってやっていました。
⑧ セクシーフットボールへの憧れと静岡国体の豪華メンツ
Footbank: では中学と比べ一気にサッカースタイルに変化があったんですね
岩崎選手: そうですね。良いも悪いもとにかくパスでした。でも上を目指すサッカーを初めてやったのが高校です。
Footbank: 三重でしたら当時、野洲高校などパスサッカーでしたよね?試合していました?
岩崎選手: あー確かに、確かに。野洲とはけっこう練習試合を入れていましたから、 ここには負けんなって感じでした。
Footbank: 私も同世代なのでよく分かりますがあの時のパスサッカーは高校サッカーでは斬新でしたよね?
岩崎選手: そうですね、ずっと国見、市船の印象だったけどセクシーフットボールがでてきましたね。
Footbank: 確かに、あのスタイルは憧れました。あとは静岡学園とかですね。
岩崎選手: 狩野健太、中村、とかいましたね。高校国体とかで、静岡とも試合しましたけど、 その時にうまいやつ多かったですからね。 その時は赤星貴文、狩野健太、上田康太、平岡康裕、森下俊、八田直樹、 この年代の静岡国体は12、3人がプロ出たんですよね。
Footbank: その静岡国体はタレント揃いでしたね。
岩崎選手: まぁでも結果的には3-0で勝って、シュート3本で入っちゃったって感じですよ。笑
Footbank: 高校時は1年時からレギュラーで活躍を?
岩崎選手: トップチームには居たけど、試合は出れなかったです。2年目は出ました。ここでほんと、 サッカーの基本というものを習いましたね。 例えばフィジカルとか。フィジカルって言葉知らねえし、って感じでしたから。笑 引き続きお楽しみに。
次回の項目
⑨ドイツ行きか新潟行きか
⑩プロの練習参加
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