2013年7月17日水曜日

7月27日 フットサル大会エントリーチームのご紹介 


こんにちは。7月27日(土)にフットサル大会を開催致します。
今回のエントリーは以下の4チームとなりますのでご紹介をさせていただきます。



========================

■エントリーNO1
【業界     :Jサポーター(柏)】
【チーム名  :KCCFC】

【ご挨拶】
柏レイソルサポーターで構成されたチームです。
よろしくお願い致します。



■エントリーNO2
【業界    :医療サービス】
【チーム名  :HEAL the WORLD】

【一言】
銀座にある当治療院にご来院頂いてる患者様で結成されたチーム!!
前回チャンピオンとしてチーム一丸となって頑張ります!!よろしくお願いします!!








■エントリーNO3
【業界   : IT】
【チーム名 :すまてく】

【チーム紹介】
 活動を初めてまだ1ヶ月半のチームです。
 チームとしての経験も連携もまだまだですが、一生懸命プレーします!

【メッセージ】
 相手チームへのリスペクトは欠かしません。楽しくフットサルをしましょう!

【チーム特徴】
 サッカー経験者、未経験者が入り混じったチームです。
 仲の良さと声出しでは負けません。






■エントリーNO4
【業界    :アパレル】
【チーム名  :BEAMS FC】


【チームの活動】
月に一度、大会に参加。
月に一度、チーム練習。
を基本としています。

【チームの特徴】
チームが発足してから、約2年が経過し、やっとチームとしての方向性が定まってきているように

感じます。チームの特徴としては、テクニシャンが多い中、数名のスピードスターを有効に使い

、点をとるサッカーを展開しています。
今後の課題としては、守備力の強化とパスサッカーを展開できるようにする事です。





2013年7月1日月曜日

 サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(11)

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(10)



18   ブラジルと日本の魅力の違い


Footbank:
 そうですか。またその時は日本のクラブとかに興味はなかったですか?


岩崎選手:
特になかったですね、ただその日系人が、ファジアーノ岡山(現J2)とニューウェーブ北九州(現J2,キラヴァンツ北九州)に行って。って言われて1週間くらい参加したんですけど、ブラジルの「アメリカミネイロ」が凄かった感覚が覚えていたから魅力があまり感じる事が出来なかったんです。

Footbank:
 なるほど。

岩崎選手:
それでそこからまたバイト生活に戻りましたね。

Footbank:
 やはり平坦では決してないですね、バイトして高校で自主練して日本とブラジルを行ったり来たりで。普通の歩み方では決してないですよね。そして自分で道を決めてからの行動力は凄いですよね?

岩崎選手:
フットワークは自分でも軽いのかなって思います。

Footbank:
 かなり軽いですよね。仙人の家や、選手権出場できるという思いだったり、今回のブラジル行きもですし。

岩崎選手:
なんかこう、1回そう思うと、「いけんじゃないの、いくしかないでしょっ」
て半分ノリもあるんですけどね。でもまあそれが結果的についてきていますからね。

Footbank:
 その感覚が素晴らしいですよね。それでバイト生活の時は何歳くらいでしたか?



⑲遂に!ブラジルでプロ選手キャリアスタート


岩崎選手:
21歳になっていました。それで当てもなく連絡を待っていましたね。そしたら電話が掛かってきて、
「お前プロ契約のビザおりたぞ」って言われて、今までの練習試合などのビデオを編集してくれて、
"サンタカタレナ州2部"の"カンボリュー"っていうチームにいってそこから初めてプロ選手としてスタートしました。

Footbank:
 なるほど、ではそこがキャリアスタートだった訳ですね。

岩崎選手:
そうなんですよ。

Footbank:
 契約時は21歳ですか?

岩崎選手:
そうですね。

Footbank: 
 となるとデビュー戦はどのくらいで?

岩崎選手:
最初は登録がスムーズにいかなくて、リーグ戦残り2試合くらいで登録がOKになったけど、もう消化試合みたいになっていたんです。その時2部だったんですが、凄く弱かったので、出れるというか出ないとダメだなっていうレベルだったんですよ。レベルで言うと、ブラジルで5部6部だったんですよ。

Footbank:
 難しいと思いますが日本と比較したら因みにどのレベルになるんでしょうか?


岩崎選手:
日本よりかは多少高いですけど、地域リーグ2部ぐらいでしょうか。カテゴリーで言いますとそのくらいですね。

Footbank: 
 そうですか。


岩崎選手:
それで残り2試合でユース選手を沢山出すって感じで結局試合出れなかったんですよ。登録して練習だけしていた感じでした。それでまた問題が色々とおきて、ある日、頭痛くて寮で休んでいたら、いきなり寮に警察がバッて3人くらい入って来たんですよ。それで、寮のおばちゃん逮捕されちゃったんですよ。



 2人・・・大爆笑



岩崎選手:
それで練習戻ってきた皆に知らせたら、「え・また?」っていう雰囲気になって、「何で捕まったの?」
って聞いたら、「他人名義のカードでいっぱい買っちゃうんだよね。あの人」って癖づいていたみたいで。

岩崎選手:
その時にチームも丁度崩壊しかけていたから、コックさんとかも雇わなくって、ジャガイモと鶏肉が
あったから毎日それと、ご飯とフェジョンを食べていましたね。それであっという間に終わりました。最悪でしたよ。

Footbank:
 それは悲惨ですね・・・それで次は??



岩崎選手:
代理人が次のクラブを用意してくれるまで、1ヵ月くらいブラジルを走っているだけなんですよ。
時期的には、9月~10月にリーグが終わったんで10月~11月の間に代理人の家で生活しながら1人で
公園を走って、筋トレするみたいな毎日をして、次のキャンプに参加したんですよ。


それがパラナの1部の「パラナヴァイ」というチームで。リーグではまぁ良い所でしたね。
そこで、キャンプで「全然契約するよー」ってなって。契約したんですよ。


でも最初6試合はメンバー外で全然試合に出られなくて、その間に監督交代してもずっとベンチ外で、
「自分ではいけそうなのにな。」って思っていても絶対出られないんですよ。


怪我したんですけど、チームメイトには好かれていて、ある時、システム"3-5-2"のワイドの左ポジションが居ないってなって。ユースを上げるか、俺を使うか。迷っていて、それで、チームメイトが「ユース使うなら日本人使えよ」って言ってくれて、初めて試合に出れたんですよ。この試合がデビュー戦でしたね。




引き続きお楽しみに。
次回の項目

21 21歳、ブラジルにてプロ初デビュー戦
22 ハーフタイムに麻酔なしで手術



























2013年6月24日月曜日

サッカープレーヤーが成功する為のたった3つの方法


3点、以下のキーワードとポイントが大切です。



①脳
錯覚させる


小さな頃から毎日、ひたすら選手を夢見る事です。
そして、自分の脳に錯覚させる事が大切です。
かなり、メンタル要素が強いのですが、"なりたいと"いう希望的な
願望ではなく、"なる"と心に決めることです。その軸が定まる事で
日々の生活や、格好、入ってくる情報、会話など、全てが決まってくるはずです。



②身体
食事摂取


食事は、とても大切です。
身体が資本な訳で、おろそかにすると、プレーやコンディションには
少なからず影響が出ます。


③プレー
技術基本技術


とにかく、 大人になるほど、、レベルが上がるほど、一番大切なことです。


特に気になる点は以下の4点。
  ”とめる” "ける”  "みる”  "手を使う”


です。最近Jのゲームや日本代表の試合を見てもこの差が顕著です。





=====

まだまだ沢山ありますが、上記3点を小学高学年あたりから心がけて実践するだけでも
ずいぶんと変わってきます。



次回は、以下項目について続けて書きたいと思います。



予定項目
 ・脳みそからプレーを描く
 ・プレースタイルや体質と筋肉のつけ方、つき方
 ・基本技術と試合で必要な基本技術
 

2013年6月21日金曜日

 サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住) (10)

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(9)



16   ついに! ブラジルで初契約


Footbank:

 そのクラブは、新しいサッカークラブになるんですか?

岩崎選手:

歴史のあるサンパウロ州リーグ2部の田舎クラブ"フランカーナ"というクラブでした。その時に20歳で契約をしました。

Footbank:

 その時はプロ契約で?

岩崎選手:

いえ、プロではないけど、リーグ戦に出場もできるというような契約でした。


Footbank:
 その時の生活費や食事については?


岩崎選手: 
生活費は所持金でまかなっていました。ただ通常の留学と異なって、契約していたので、プロでないけど、居ていいよって事になっていました。ここでは3~4ヵ月居て試合に出ていましたね。

Footbank:
なるほど。ここでブラジルのサッカーや生活などより見えてきたんでしょうか?




岩崎選手:
ここではイメージ通りのブラジルで、ダニとかいそうな汚いクッションとかで寝て、自分もお金盗まれましたけど皆、盗みあってま
したね。苦笑

ここで、「うわースゲエブラジルじゃん」って。今居るよって思って。笑。

最初に居た「クルゼイロスポルチクルービ」で、トイレ汚いなって思ったりしていたんですけど、クラブチームを渡り歩く事にクルゼイロの良さっていうのが分かってきましたね。


Footbank:

 なるほどですね。



岩崎選手:
フランカーナが弱かったので大会に負けたらリーグスケジュールがなくてチームが負けたから1回閉まって、もう1回来年に開くっていうようにはなっていたから。ただ、なくなってしまって。

その時に監督から「お前20歳でイイから、プロのキャンプに行けよ」って言われて「アメリカミネイロ」っていうチームのキャンプに参加させてもらって。

そこで、キャンプにずっと参加していて、持久力とかも凄い評価されて、「左利きだし、20歳だから 残っても良いんじゃないの」ってキャンプ中に雰囲気になっていたのが大体分かっていて。

Footbank:

 はい、周りのそういった雰囲気ですね。


岩崎選手:

でも実際は試合に出れる実力まではなかったんですけど。プロのベンチには入れるんじゃないのって思っていたら、監督に気に入ってもらっていて、本当か分かりませんけど「お前プロでいけるよ」って言われていたんですね。

でも監督が急に来なくなって、次の監督が急に来てから練習も参加出来なくなって、
ずっとスパイクも履けなくてランニングだけ

Footbank:
 ずっとですか?


岩崎選手:
はい、それで「やばい」って思ったから紹介してもらった人に「どこかなんかないですか?」って言ったら、違う南の州に日系人が居る。って言ってそれをたどれ!って感じで言われて。


 2人  ・・・笑


岩崎選手:
その人の電話番号だけもらって、説明をしたら、「1回こっち来る」ってなって、「行きます」って言って住所だけ伝えてもらい、自分でバスチケットを買って、17時間バスで移動したんです。
それがパラナ州という所でしたね。それでその人が、ブラジルでサッカーする気ないの?どうしたいの?ってプロサッカー選手になりたいです。って答えて、ブラジルは受け皿が大きいから、レベルの低い所からスタートしても良いんじゃないのって
言われて。




2013年6月19日水曜日

サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(9) 

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(8)






14 いざ、ブラジルへ!!





Footbank:
 それからその後は?



岩崎選手:
 大学辞めてブラジル行きを考え始めて2年生時に動きだしました。



岩崎選手:
 どうせこのままプロになれなかったらサッカーやるのも大学で最後だしと思って、社会人になったら働きながらサッカーしないとダメという感覚があって。そこで1年くらいブラジル行ってもいんじゃないって自分で思い、バイトしながらサッカーしていました。たまたま中京大学の近くはブラジル人が多くて。ブラジル行くと自分の中で決めた翌日から、ブラジル学校に1人でいって、「ポルトガル語教えて下さい」その代わり、体育の授業だったり、宿題を手伝ったりしてしばらく、ポルトガル語を勉強して、実際に2年の終わりの3月くらいにブラジル行ったんです。実際は現地で言葉があまり通じなかったんですけどね。笑



 12月から3月まで実家に戻り、アルバイト、サッカー、ポルトガル語習得という生活でしたね。ブラジル留学をネットで調べていたら100万とか高かったので「ブラジルでサッカーをしたいです」って高校の監督に相談をしたら、「何、訳分からない事を言ってるんだ」ってなって、それでも紹介してくれる事になって。そこから行ったんです。





15 サンパウロの田舎クラブのテスト生








2013年6月12日水曜日

サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(8)

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(7)



⑬ ウリナリの特ホウ王国の千人と


岩崎選手:
練習後のとある日に、友達と飯を食いにいって、たまたま昔TVで見た、仙人が居たんですよ。(これは笠井健太君も知っているんですけど。)なんか特ホウ王国の番組に平成仙人というヌンチャク仙人がすげー賞金をとっていた人です。その仙人がファミレスでビールを飲んでいて、「これ、ウリナリの特ホウ王国のやつじゃん」って思って速効仙人の方にいって、「仙人ですよね?」なんか「そうじゃー」って。

 2人 (笑)


岩崎選手:
それで「俺を最強にしてもらっていいですか?」って言って「森へ来い」ってなって、名刺代わりのA4プリント資料を渡されたのでネタの1つとして翌日に1人で半信半疑のまま行ったんですよ。
そうしたら道のない草むらを5分進んだ所でボロボロの看板に「仙人の家」があったんです。


岩崎選手:

「こんにちは」って言ったら、「お前来たか」ってなって。笑
「勇気あるなー」って言われて、色々仙人の話を聞いて「修行お前、したいのか、じゃあ頑張れよ」
って森をさらに奥に進んだらキレイな道場がでてきたんですよ。
木にぶら下がって、けんすいを80回くらい平気でするんですよ。「これはやべえ」
って思って。「俺を最強にしてください」って言いました。
それで毎日寝泊りはここでしろって事で大学通いながら3ヵ月居ました。


 2人 大爆笑


2013年6月10日月曜日

市立船橋 VS 水戸葵陵 トレーニングマッチ


トレーニングマッチ観戦。

前半30分のスコアは 0-0

水戸葵陵 は、前線からのハイプレスの陣形で
高い位置からのプレッシングで、良い形でボールを
奪い、シュートまで持っていっていた。

一方、母校の市船はサッカースタイルは私がいたころと
変わっていて、ポゼッションをしながら、形を作ろうという攻撃に
見えた。

どちらにもいえる事だか、基本技術がまだ物足りないように思う。
そこから、雑なプレーやちょっとしたイージーミスが目立ってしまうと
全体の試合の質が低くなってしまう。
また、攻撃のセオリーがどのくらいチーム内に浸透しているのかで、
攻撃でのチームでの狙いなどが見えるものだか、まだそのようなところは
見えなかった。

でも将来が楽しみな選手も数名いたので、追っていきたいと思う。








2013年6月9日日曜日

サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(7) 

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(6)



⑪ 高校時の一番の出来事 






岩崎選手: 
それから先生と色々話をしたりもして、例がなかったんでしょうね、ドイツ行きの話もですが。結局は俺も行きたいっていう意思を伝えなかったんですね。だから消えていった話だったんです。
その時に、国体の試合などを見ていた、中京大学のコーチや監督が「是非きてくれ」とサッカーの試験を受け、入学しましたね。

Footbank:
 新潟の話と中京のタイミングは同時期に?

岩崎選手:
ほぼ同タイミングですね。本当は佐川急便で就職して、午前中だけ働いて午後サッカーするという感じだったから。それを一番最初にしたかったんだけど、それは高校の監督から"大学卒業しないと無理"と言われて、それで「お前、どうするんだよ」っていわれ、「お前は工業の機械系向いていないから、大学はどうだ」
と薦められた。で、嫌々入学したという感じです。

Footbank:
 高校時で一番の出来事とは・・?

岩崎選手:
やっぱり、まぁ初めて自分の代で3年時に選手権に出場を決めた事とか。結果的に全国ベスト16でしたけど、でもそういうのが印象深いですね。全国高校サッカー選手権、県予選決勝も最後PKでしたけど、最後俺が蹴って、勝つ事ができたし。


Footbank:
 いわゆる、持っている(運)選手ですね?

岩崎選手:
 まぁそうですかね、その時は「俺らいけんじゃねえ」って、直感的に感じていて、それで皆で頑張って練習をしました。
選手権本選でもあと1回勝っていれば国見でしたけど三ツ沢競技場で盛岡商業に負けてしまいました。


2013年6月5日水曜日

サッカー選手 岩崎陽平選手 (ブラジル在住) (6)

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     



前回の内容 : サッカー選手 岩崎陽平選手(ブラジル在住)(5) 




⑨ドイツ行きか新潟行きか


岩崎選手:
実は高2の終わりで選手権県予選の準決勝に出てて、四日市中央工業に負けたんですけど、その試合にとある代理人がドイツ人と試合観戦していて、その人がドイツ行きの切符を持った人で、「一緒にドイツに行かないか」って話が来たんですよ。結局行かなかったですけど、その時に俺、プロになりてえな。って思い始めた瞬間でした。

Footbank:
 ではその高2の時に、スイッチが入ったというか、プロをはっきり目指そうと思ったんですね。そうですね、それまではサッカーが好きでちゃんとしていましたけど、そこからプロになりてえなって。高2できっかけやチャンスというのが出てきたんですね。
そうですね。

Footbank:
 高3に進路の話があると思いますが、高3の夏に新潟の練習参加されたんですね。どのようにして新潟の練習参加に?

岩崎選手:
その例の代理人が連れていってくれたんです。選手権出場したら、新潟行きを約束できるかも。って話がずっとあって。でも今まで全国出場もなくて、そこまで伸ばして、ダメだったらまずいから、進学しておけ。っていう話でした。





 ⑩ プロの練習参加


岩崎選手:
実際ドイツの話も具体的な費用の話も出てきたら親も出せないし。って話もあり、色々あったので。

Footbank:
 もし、岩崎さんの個人的な気持ちで考えるのなら新潟へいきたかった?

岩崎選手:
もちろんそれは行きたかったですけど、そのレベルにはまだ達していなかったですし。

Footbank:
 練習参加期間はどのくらいでしたか?

岩崎選手:
3,4日くらいでしたよ。

Footbank:
 その時の印象はどうでしたか?

岩崎選手:
遠征などでサブ組みしかいなかったんですよね。CUPSっていう学生の子もきていました。ただ、フィジカルをやたらやっていて、何でこんなに走って、何してんの?って。
レベルは高いですけど、慣れてフィジカル強くなれば、いけんじゃねーのっていう感覚でしたね。


Footbank:
 技術面においては?
岩崎選手:
 同じくそんなに高いというイメージではなかったですね。


引き続きお楽しみに。
次回の項目
⑪  高校時の一番の出来事
⑫  ランニングとモチベーション


2013年6月3日月曜日

サッカー選手 岩崎陽平選手 (ブラジル在住) (5)

岩崎 陽平
Yohei IWASAKI
生年月日1987年3月24日
出身地三重県
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、ディフェンダーをこなす     





前回の内容 : パラグアイリーグ所属 岩崎陽平選手(4) 



⑦ 四日市中央工業への進路選択

Footbank:  とにかく凄い中学生というのは間違いないですね。それで高校にあがるタイミングでは 何かありましたか?


 岩崎選手: まずは中学の先輩が行っているのと、一番近いからという事で。 親とかには"四日市中央工業"に行きてえなって言ったら、"あんたは無理" って言われて"津工業"に行きなって言われ、それで"近いしそっちいくか" って思って。それでおれ頭悪いから、推薦とれば行けるだろう思って。 

Footbank:  スポーツ推薦ですかね?
 岩崎選手: それはないです。普通の内申オール3で入学できる内容でした。 まぁ近いし、オール3で行けるから行こうって。

 Footbank:  皆、中学から知っている仲だから、サッカーはやりやすかったんですね。  それでその時のトレーニングとかはどうでしたか?


岩崎選手: 
ここで初めて上の目指すサッカーでした。県2位にもなっていたので それもあり行ったんですけどね。 とにかくパスサッカーでゴールキックも蹴らないで。 今考えるとおかしい。と思ったんですけど、当時はそれに魅力を感じてたから 1年時にははすげーと思ってやっていました。


⑧ セクシーフットボールへの憧れと静岡国体の豪華メンツ



Footbank:  では中学と比べ一気にサッカースタイルに変化があったんですね
 岩崎選手:  そうですね。良いも悪いもとにかくパスでした。でも上を目指すサッカーを初めてやったのが高校です。

 Footbank:  三重でしたら当時、野洲高校などパスサッカーでしたよね?試合していました?

 岩崎選手: あー確かに、確かに。野洲とはけっこう練習試合を入れていましたから、 ここには負けんなって感じでした。

Footbank:  私も同世代なのでよく分かりますがあの時のパスサッカーは高校サッカーでは斬新でしたよね?
 岩崎選手: そうですね、ずっと国見、市船の印象だったけどセクシーフットボールがでてきましたね。

Footbank:  確かに、あのスタイルは憧れました。あとは静岡学園とかですね。

岩崎選手: 狩野健太、中村、とかいましたね。高校国体とかで、静岡とも試合しましたけど、 その時にうまいやつ多かったですからね。 その時は赤星貴文狩野健太上田康太平岡康裕森下俊八田直樹、 この年代の静岡国体は12、3人がプロ出たんですよね。

Footbank  その静岡国体はタレント揃いでしたね。
岩崎選手:  まぁでも結果的には3-0で勝って、シュート3本で入っちゃったって感じですよ。笑

Footbank:  高校時は1年時からレギュラーで活躍を?
岩崎選手:  トップチームには居たけど、試合は出れなかったです。2年目は出ました。ここでほんと、 サッカーの基本というものを習いましたね。 例えばフィジカルとか。フィジカルって言葉知らねえし、って感じでしたから。笑 引き続きお楽しみに。


次回の項目  
 ⑨ドイツ行きか新潟行きか 
 ⑩プロの練習参加

2013年5月31日金曜日

5月30日 日本代表 日本 対 ブルガリア代表  0-2 負け


今日は、TV観戦。


ブルガリアにどれだけできるのか楽しみにしていた。
そして日本は、6月4日にワールドカップ行きを決めるためにも、
格上のブルガリアに勝利したいところだったが、
良いところも封じ込められて終始、納得のいく展開ができていなかった。
収穫は改めて、欧州との差を感じた所であると思う。


注目選手というより戦い方や試合展開が気になった。早いうちに失点をしたが、
その後の前半は良い所はないように思えた。システムの3-4-3が
ぎこちないのは分かるが、それ以前にイージーミスや
ビルドアップが遅かった。連動性もなく、試合展開や
ボール運びが、1プレー1プレーで切れている感じに思える。


前半は、乾選手のボールを引き出そうとする動き出しや運動量が目立った。関与はだいぶしていたが、最後の部分での丁寧さがまだ足らないように思えた。
ボールを持ってからのスピードや運び方は良いので次回もフィニッシュの部分やゴール前で頑張ってほしい。

後半は、通常とおりに戻していて、選手交代もして多少は機能していた。
(サッカーも90分の中に、それぞれ優位に運べる試合時間帯が当然あるからでもある)
長友選手の個人突破はやはり利いていたが、そこでも決定的な場面をあまり作ることができていなかった。


2013年5月28日火曜日

パラグアイリーグ所属 岩崎陽平選手(4) 

笠井健太選手→岩崎陽平選手


岩崎陽平(いわさきようへい)


岩崎陽平(いわさきようへい)
1987年3月24日
三重県出身 サッカー選手
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、
ディフェンダーをこなす。



⑤静岡とブラジルの関係 ○○トレーニング


岩崎選手:
それからさらに体力を上げるために、三重には東海の静岡でやってるメニューはすげえという
イメージがあって、ある日どっからか知らないけど静岡のやつは体力向上の為にマスクしてサッカーをしていると。笑
それを聞いて、夜に下半分黒いメガネをかけて、マスクして。
自分で"どんな不審者がサッカーしてんだよ"「何コイツ」って。夜やってました。笑

 2人 笑


Footbank:
 とても面白いですね。この伝説は他でも知っているかもしれませんね?
 もしも同じ練習方法をしていたら話を聞いてみたいですね。(笑)
 ちなみに現代の今の子供にはお勧めすべき練習方法ですか?(笑)


岩崎選手:
そうですね、笑。このドリブル練習はけっこう・・・
普通のドリブルなのに体力がつきますので。(笑)


Footbank:
 ちなみに私も自主練習は工夫していましたね。ちょうどドラゴンボールを イメージした練習方法をとりいれていて、私は両足で約5キロの重りをつけてやっていましたが。 全然効果なかったですね。 でも3年間同じ練習をしながらも独自でトレーニングを生み出し、 自分なりのサッカースタイルを確立していったんですね。



岩崎選手:
また実家から海が300メートルにあった、夏は当時、三浦カズさんが波打ち際でサッカーをしているという噂を聞いて、ランニングシューズで海入って、基礎練習するというのもやったりしました。ただ、「全然意味ねえじゃん」って思ったけど三浦カズさんがやっているからやろうというのでやっていました。



Footbank:
 静岡のサッカーネタは情報が早くて豊富なんですね?


岩崎選手:
 静岡のやつはブラジルと繋がっているから、なんかあいつら新しいトレーニング取り入れてるぞって感じですね。三重は静岡が近いから、なんか入ってくるんですよね。


2013年5月25日土曜日

第13 節  J1 湘南VS広島 試合観戦




こんにちは、今日は

J1 湘南VS広島 の試合観戦 


来場者数は10,000人越えて、会場はいっぱいだ。




湘南 広島 



前半から広島のペース。


湘南はゆっくりとDFラインでボールをまわしながらビルドアップ。あっという間にハーフウェイラインまでDFラインがあがってきて、すでにハーフコートゲーム状態。前半は湘南は引いて守りを固めていたものの広島の両サイドが高い位置でワイドにいるために、
ほぼ5バック状態になり、中盤がすかすか。


そこを高萩選手が中盤をかく乱。その間に1本のロングボールで両サイドの深い位置の
裏をとり、一気にチャンスに。

その攻撃が何度も続き、最後は、佐藤選手にあわせる形でリズムを作る。

湘南は今度はサイドばかり気をとられている間に中央から、
壁パスワンツーで高萩選手に一気に押し込まれゴール。



2013年5月23日木曜日

パラグアイリーグ所属 岩崎陽平選手(3) 

岩崎選手プロフィール 岩崎陽平(いわさきようへい)
サッカー選手
岩崎陽平(いわさきようへい)
誕生日
1987年3月24日
出身
三重県
ポジション
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、
ディフェンダーをこなす


③中学時代について


岩崎選手:
とにかく中学では先輩が面倒くさいという思い出ばかりです。
ヤンキー中学だったので、先輩とサッカーをするのが心底嫌だなって思い出ばかりで。。。
先生も毎日来ないし、たまに来て練習見る感じで。それでいて、練習メニューが毎日全部1対1なんです。まず縦長コートでのの1対1。次終わったら横長1対1で。次はクロスからの1対1で
分けが分からなくて。笑。クロスからのは横長と一緒じゃんって。



(2人)(笑)

岩崎選手:
それやってからミニゲームがあって4つのランクで1つは小さいコートで、勝ったら次は縦長コートになって、それは裏に抜ける練習で。それを勝ったらやっと普通のミニゲームで、、、それを3年間やりました。


(2人)(笑)

2013年5月22日水曜日

パラグアイリーグ所属  岩崎陽平選手ブログ (2)

笠井健太選手→岩崎陽平選手

岩崎選手プロフィール 岩崎陽平(いわさきようへい)
サッカー選手
岩崎陽平(いわさきようへい)
誕生日
1987年3月24日
出身
三重県
ポジション
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、
ディフェンダーをこなす



Footbank:
③中学時代について

岩崎選手:
とにかく中学では先輩が面倒くさいという思い出ばかりです。
ヤンキー中学だったので、先輩とサッカーをするのが心底嫌だなって思い出ばかりで。。。
先生も毎日来ないし、たまに来て練習見る感じで。
それでいて、練習メニューが毎日全部1対1なんです。
まず縦長コートでのの1対1。次終わったら横長1対1で。次はクロスからの1対1で
分けが分からなくて。笑。クロスからのは横長と一緒じゃんって。

(2人)(笑)

2013年5月21日火曜日

第12節 横浜M VS ベガルタ仙台 試合観戦

第12節 横浜M VS ベガルタ仙台

観戦してきた。序盤から仙台ペースで、リズムよく仕掛けられていた。
全体がとても連動しているように思えたし攻守の切り替えがとても良かった。
昨年度のリーグ戦の仙台らしさを感じた試合。
後半も攻め込むシーンが多くみられた。

1つ思うなら、サイド攻撃からのアーリークロスの攻撃が多かった
ので、中澤、栗原の壁にはじき返されていた印象を受けた。

攻撃のバリエーションがもっと見たい。
例えばサイド深くまでえぐり、切れ込んでいく形や、ポゼッションをバイタルエリアで
細かく回し、3人目、4人目が後ろからあがってくるなど、
贅沢を言えば、バリエーションがもう少し欲しいと感じた。

2013年5月18日土曜日

パラグアイリーグ所属  岩崎陽平選手ブログ (1)

笠井健太選手→岩崎陽平選手


岩崎選手プロフィール 岩崎陽平(いわさきようへい)
サッカー選手
岩崎陽平(いわさきようへい)
誕生日
1987年3月24日
出身
三重県
ポジション
ポジションはサイドハーフ、センターハーフ、
ディフェンダーをこなす




①幼少期、サッカーをはじめたきっかけは?

岩崎選手:
近所の裏の家の子のお兄さんが 屋根の上にボールを蹴ったのを見て、これだ!かっこいいなって
思って、畑と畑の間の道でずっと毎日365日サッカーをしていた。農道で近所の兄貴と弟ともう1人と5人でサッカーをしていた。
小学校1年生なったくらいで「サッカーをしたい」と親にいったら、家から300Mくらいの所で毎週土曜日にサッカーをしていた。
ボランティアでのサッカー少年団という所ではじめました。

2013年5月14日火曜日

J2クラブ監督との面会で感じたオーラ

J2某クラブの監督との時間


オーラがあり、勝負に対する心構え、勝利への強いこだわりを感じた。

戦略やデータなどはもちろん重要であるが、目の前の敵に勝つというシンプルなスタンス
を選手に浸透させているんだと思う。

監督の勝負事には絶対的に必要不可欠な勝利に対する執念がチーム全体(クラブ全体)に浸透していて常勝軍団となるのだと感じた。

一言で”かっこいい”につきる、そして尊敬する大先輩。
またお会いしたいし、私も次回お会いした際にさらに成長するようにしたい。

アグレミーナ浜松 笠井健太選手(5/5)

アグレミーナ浜松 笠井健太選手(4/5)の続き


アグレミーナ浜松 笠井健太選手(5/5)


笠井選手プロフィール 笠井 健太(かさい けんた)
サッカー選手
笠井 健太(かさい けんた)
誕生日
1985年12月25日
出身
静岡県菊川市
ポジション
ディフェンダー(サイドバック)をこなす
⑦海外への挑戦について

Footbank.net : 今はドイツだったり、東南アジアとかに沢山の日本人選手が行っているけど、海外にトライしていくという事について選手はどう心構えしたら良いですか?
笠井選手 : 自分が追い込まれたり後ろ盾が全くなくなるわけだから、どんな事だってありうるっていう心構えをして行かなきゃダメじゃないですか。 ここでは載せられないけど、僕の友人の伊野波(現日本代表)の話だったりとか。 仮にブラジルに留学したいっていう日本人がいるじゃないですか。そういう選手を見てるとブラジル行けばうまくなると思っているので・・・決してそういう訳でもないですね。

2013年5月12日日曜日

アグレミーナ浜松 笠井健太選手(4/5)

アグレミーナ浜松 笠井健太選手(3/5)の続き


アグレミーナ浜松 笠井健太選手(4/5)

笠井選手プロフィール 笠井 健太(かさい けんた)
サッカー選手
笠井 健太(かさい けんた)
誕生日
1985年12月25日
出身
静岡県菊川市
ポジション
ディフェンダー(サイドバック)をこなす

⑤内田篤人(現ブンデスリーグのシャルケ)とのレギュラー争いをした鹿島アントラーズ時代について
Footbank.net ※以下よりFootbank.netは「Footbank」に略称致します :

まず鹿島アントラーズへの入団の経緯を教えて下さい。
実際に声がかかったタイミングは?
笠井選手 : パウリスタの監督が呂比須ワグナー(前日本代表)だったんですが、次の新監督がワウデマール・レモスっていう人で。 その方がオリヴェイラ監督(前鹿島アントラーズ監督)の弟なんですよ。それで日本とブラジルだとシーズンがかぶんないじゃないすか。 州選手権の試合に出てたら、オリヴェイラ監督が弟の試合見に行くみたいな感じで来たんですよ。
Footbank.net : じきじきに?
笠井選手 : はい、それで「日本人なの?」って言われて「日本人ですって。」「日本でやる気ないの?」って言われて、「いや、声がかかってないから」って言って。「じゃあうちくる?」って言われて。俺その時、情報がなかったので、全然Jリーグの事知らなくて。

2013年5月10日金曜日

~プロへの道~ アグレミーナ浜松 笠井健太選手(3/5)

~プロへの道~ アグレミーナ浜松 笠井健太選手(2/5)の続き


アグレミーナ浜松 笠井健太選手(3/5)

笠井選手プロフィール 笠井 健太(かさい けんた)
サッカー選手
笠井 健太(かさい けんた)
誕生日
1985年12月25日
出身
静岡県菊川市
ポジション
ディフェンダー(サイドバック)をこなす
⑤本格的なキャリアスタートからデビュー戦について

Footbank.net : まずターニングポイントはサントス時代ですね?
笠井選手 : まぁ本格的にキャリアが始まったのは、17歳の時サントスの監督がサッカークリニックをやった時で。
Footbank.net : それ静岡で?
笠井選手 : そうです、静岡です。静岡の日系人の人が計画してくれて。まぁ、その日系人の人がたまたま知り合いで、俺もサン
トスに行けたみたいな。その 人のおかげと言えばおかげなんです。
Footbank.net : それで、17歳でサントスに行って、その続きは?
笠井選手 : 2年間サントスのジュニアユースとBチームをずっと行ったり来たりして、その時17歳だから17~18歳とやって19歳で
パウリスタのほうに移ったんです。
Footbank.net : あ、サントスではトップは出てないんだ?
笠井選手 : 出てないです、出てないです。練習試合とかばっかりで。
プロとして初めて契約したチームはどこですか?
笠井選手 : パウリスタですね。
Footbank.net : 当時19歳ですか?
笠井選手 : はい、19歳ですね。
Footbank.net : パウリスタに移ったのは、プロ契約ですか?
笠井選手 : そうです。だからそれもあっちで言ったらはじめはU-20の部類じゃないですか。だからトップチームと両方に所属して
、出来るだけ試合を経験したいって言ったら、じゃあ両方に所属でってなって。その当時にトップチームにはタッサという選手が
いました。そして、トップチームでのデビュー戦となったのがリーグ消化試合だったんですよ。試合結果は、まぁ2-2の引き分けで。


2013年5月8日水曜日

~プロへの道~ アグレミーナ浜松 笠井健太選手 (2/5)

~プロへの道~ アグレミーナ浜松  笠井健太選手 (1/5)の続き



アグレミーナ浜松 笠井健太選手(2/5)

笠井選手プロフィール 笠井 健太(かさい けんた)
サッカー選手
笠井 健太(かさい けんた)
誕生日
1985年12月25日
出身
静岡県菊川市
ポジション
ディフェンダー(サイドバック)をこなす

④サッカーに夢中に、そして本気になり始めブラジルへの短期留学をした中学時代


Footbank.net : 中学2年から高校2年の時が日本という事は、中学2年から本格的にサッカーを始めたって事?
笠井選手 : 中学2年に日本へ帰ってきて、中学2年から高校2年まで日本に3年間いた時、中学2年で初めて部活に入って、面白いって思って。そこから ブラジル行って。
Footbank.net : それまでは自分が遊ぶスポーツの一つでしかなかったのが、
部活動になったんですね。
笠井選手 : すると、自然とみんな上を目指す。
Footbank.net : 目的は、そういったところになるよね。
笠井選手 : カナダでサッカーしていた当時はクラブチームだったんで。クラブチームに所属していても、学校で知り合いは居ないし、ただ寄せ集まってやるだけだから、まぁおもしろくなかったんですよ。それが、日本の部活になると常に生活を共にしてる人たちとやるわけじゃないですか。それが高校になって、だんだん試合するようになって楽しくなって。それで中学3年の時に1ヶ月間短期留学でブラジルに行ってみたんです。その時サントスに行って。それで、その時ブラジルに
残れって話も出てたらしいです。でも、親にしてみれば、6年海外に住んで、半年日本にいて、そのままブラジルってなったら、その時に親はまずいと思ったらしく、僕にはこの事実を知らされずだったんです。でも17歳の時、偶然にもその監督が日本でサッカークリニックを開くから、ついでに健太の試合観るからって。その後「やっぱりお前ブラジル来いよ」ってなって、「じゃあ行くわ」みたいな。で見切り発車して行っちゃったんですよ。

2013年5月6日月曜日

~プロへの道~ アグレミーナ浜松 笠井健太選手(1/5)

アグレミーナ浜松 笠井健太選手(1/5)


笠井選手プロフィール 笠井 健太(かさい けんた)
サッカー選手
笠井 健太(かさい けんた)
誕生日
1985年12月25日
出身
静岡県菊川市
ポジション
ディフェンダー(サイドバック)をこなす

鹿島アントラーズ時代では(現シャルケ04)内田篤人選手とのレギュラー争いやブラジルのパウリスタ時代では現マンチェスターシティーのテベスと対戦をしているという幅広い経験を持った、笠井健太選手。Footbank.netとのインタビュー対談が実現いたしました。

Footbank.net ※以下よりFootbank.netは「Footbank」に略称致します :

①最初に海外に行った国
②幼少期のカナダでの生活について

2013年5月5日日曜日

第9節 湘南VS C大阪  試合

J1観戦。

湘南 VS C大阪

湘南は攻撃のバリエーションがやや少ない気がした。


トップにくさびの縦パスが入り、ダイレクト又は1タッチでサイドに落とし、
トップが引いてきた(スペースを空け)所に
2列目が飛び出していく。というシンプルな仕掛け。

前半はそれがいくつかチャンスを作り出していたが、ゴールに
繋がらずにずるずると。